2008年07月26日

3軒茶屋婦人会「ウドンゲ」於・ベニサンピットを観る

好きではないが良いレパだ。
芝居よりは、映画向きのレパだと思う。
でも、微妙な心境が良く書けていて、こういう小さい小屋+少人数の巧い役者には良い作品だ。
書き下ろしだからそりゃそうだってとこだが。

大谷さんは大変巧い。
英介も丸いシトも巧いんだけど、今回は大谷さんの役のシトの心の変化が大きなキーになっているので、巧さが際立った。
それから「まずいラーメン」と最後に書くのは定番だが、「最高にまずいラーメン」というセリフがいい。
「まずいラーメンを一緒に食べる友達」をそれまでに巧く描けているので「最高」が利いている。
チープでありきたりだが、それを良い芝居にできるかどうかは、やはりテクニックなんだろうな。

それから、OPを見ていて、(良い言葉であれば尚更良いが)単純な言葉から始まる場面を巧く作れるのはやはり良い役者だと感じた。
当たり前のことだが。
でも、セリフに振り回されて、その当たり前が全く出来ていない役者の多い中、セリフを言うことが当たり前で、その先に何を作るのかを見えているかどうかは、器が測れるね。

(言葉が良い言葉であれば尚更良いが)能とは、結局のところ、「言葉」というものに頼ることが出来ない、寄りかかることが出来ないからこそ、芝居の本質的なものが抽出されていくのかもな、英介のOPで気づいた。

これは女形の方が女を良く知っていることにも似ている。
駄目な女優は女であることに寄りかかるし、駄目な男優も男であることに寄りかかる。女形や男役は、全く別のところから役を作るから、意識が高いんでしょうな。

役者は、自分であることや、言葉によりかかってはイカン。

そういう意味では、テント芝居の無意味にテンションの高い芝居も同じように思う。「アングラ芝居」の形だから、きちんと構築せざる得ない状況に追い込まれている。
だから、駄目な小劇場系はスカした芝居が多いのかもね。(-_-)
大学のテント芝居よりも、集中してない芝居をしちゃう原因なんだろうな。

言葉とは何でしょうね。
小説や芝居を書く時には、最初の言葉がローカットのQになるように、頭を捻って書いているんですが、最初の言葉、最初の段落にどのくらい意識を持てるかは、大きい気がします。

芝居と違って、小説は役者がセリフを言うわけでも、音が入るわけでも照明が入るわけでも演出がつくわけでもないですから、要素が少ない分楽なような気もするし、難しいような気もします。

まあ、何をどうしても難しいんだろうな。
posted by 國王 at 13:01| ウィーン | Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居ヲ見ル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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